暮らしとデザインのアップデートを

生活の中にルールとデザイン。日常の儀式化についてかんがえる。

珍しく文字だけの日記。というかこのブログ事態かなり久々の更新になる。

カーサブルータスの特別編集を購入。久々に外部からインプットを仕入れようと思い、たまたま入ったコンビニで目に留まった雑誌に手を伸ばした。

特集は茶室と千利休についてのトピック。

デザインを学ぶ物として、スティーブジョブスのAppleと千利休の茶室への姿勢は外せない。とはいえ、あまり真面目に学んでなかったので、「この人どんなひとだったっけ。」と履修の目的もありつつ目を通した。

内容をまるっと書くわけにもいかないので、こちらをどうぞ。

テキストに目を通しながら、「あぁそうだった。こういう人だった」といろいろと思いだした。

仕事への姿勢、常識を打開するために突拍子のないことを平気でやってしまう、千利休とは生粋のクリエイターなのだと。

自分自身、クリエイティブを生業とする人生に身をささげてまだ10年も立っていないが

この年になってようやくそうした偉人のマインドに深く共感する事は増えたとおもう。

表面的に理解することならだれでもできるよねって話だ。

で、そろそろ本題。

日常の中に生まれる儀式の重要性

今でいうところのルーティンだったりも、ある種で儀式的と呼べるのかもしれない。

人として生きる上で結構重要な意識のはなしだと勝手に思っているのですが、例えば僕だけじゃない多くの人がじつはこの儀式とは切っても切り離せない生活になっている。

たとえば、食べる前に「いただきます」と食べ終わって「ご馳走様でした。」と手を合わせると思うがこれはいたって普通の儀式なわけです。

感謝と祈りを食材や作った人に届ける行為ではあるわけです。

こういう事が出来ると、心がやっぱり気持ちがいい物になる。

ほかの儀式的なものを考えてみよう。

男性のビジネスマンであれば「朝に髭を丁寧に剃る。」とかも儀式的ですかね。

その行為をすることで気持ちに活を入れる。逆に少しカミソリ負けしたり、切って血が出たりすると、占いで最下位だったようなどんよりとした気持ちで朝が始まってしまったり。

ほかにも勉強の前に机の上を綺麗にシートで拭いたり、仕事前に必ず新聞や本を読んでたり、移動中にツイッターをしたり、、こうした他愛ない一つ一つのアクションに意識をフォーカスしていく。

意外とこう考えると日常における儀式っていうのは、より丁寧なものにアップデートされていくことで精神てきな平穏を保つ一つの基準になってくる。

千利休やジョブスが目指した場所もじつはこうした日常のアップデートと、そこに結び付く精神性に対して最大のアプローチだったんじゃないかと思うんです。

そういう状態の方が自分のクリエイティブがより綺麗なものになっていくような気がしたので、単純なメモ書きとしてこのブログに書き綴ってみました。(笑)

そんな刺激を受けたので、クリエイターとして自分の作るものが誰かの生活に直結していくようなものづくりをしっかりできれば嬉しいなぁなんて思いながら、あーでもないこーでもないと企画書と作品を作っています。

日常の儀式は勝手にデザインされていき、自分の精神的な平穏につながっていく。

結論、儀式的っていうのは”ワビサビ”なのかもしれない。

日々を過ごすうえで、朝に占いを見たり、歯を磨いて顔を洗って荷物を整え、身だしなみを整え、

そうした当たり前の中に起きる儀式的な行為は、自分のメンタルをデザインするファクトになっていくような

そしてそこに対して僕自身がすごく尊さを感じているということを伝えたかった。

誰かに褒められるものでもなく淡々と行っていることに今一度フォーカスしてみる。

当たり前だったことがじつはそうではなかったと気づくものに、自分は今後どのように思っていくんだろうと少しわくわくしてます。

また、気が向いたら更新します。

AIHARA STUDIO

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